「違和感」と向き合う、ということ。
産休育休から復職したとき、仕事に対して強烈な違和感を感じました。
もともと今の仕事は好きではありません。土日休みで残業がなく、結婚してからも続けやすそうな仕事、という理由で選びました。「これでいいのかな」と心の片隅で思いながらも、割り切って、アフターファイブに友だちとごはんに行ったり、買い物をすることで気を紛らわしていました。
それが、子どもという存在ができて、時間に対する意識が180度変わったのです。一日の大部分の時間を費やす仕事。子育てという大切な仕事が加わった今、子どもを預けてまでやる仕事にやりがいが感じられない、というのは想像していたよりはるかに苦痛でした。子どもが病弱だったというのも理由の一つです。一週間休まずに登園できることはまずありませんでした。つらそうな息子を見るたびに、「ここまでして仕事に行く必要があるのか?」と悩みました。
もう今までのように、目先の娯楽で自分の気持ちをごまかすことなんて、到底できなくなっていたのです。
でも、慣れというのは怖いもので。
保育園生活も2年目に入り、体力がついてきたのか、子どもが病気で休むことは少なくなりました。私自身も、家事に育児に仕事に、というサイクルができあがってくると、いつしか泣き言も出なくなり、目の前のことを淡々とこなせるようになってきました。
それはもちろん悪いことではありません。こういう生活ができるようになったのも、子どもが元気になってくれたからで、仕事も我慢できないほどつらいものではないから。このまま、去年感じたあの「違和感」はなくなったものとして、日々のサイクルを回し続けることもできる。
それでも私は、あの時感じた強烈な違和感を、忘れちゃいけない、と思うのです。
親になって最初に息子に対して思ったことは、「好きや仕事を活かした仕事をしてほしい」ってこと。それが私の考えるしあわせだから。そのためには親として何ができるか、と何度も何度も考えました。
私の出した結論は、「親がそれを体現すること」。自分の親もそれができているとはあまり言えません。それもあってか、好きを仕事にするってどこか他人事で、心のどこかで「トクベツな人にしかできない」って諦めかけていたところが正直ありました。でも、それは私が本当にやりたいことだし、子どもにも実現できるって信じてほしい。でも、今の仕事を続けて、果たして本当にそれができるのか?
毎日、目の前にあることを淡々とこなす。
そんな中でも、心をマヒさせることなく、少しずつでも向かいたい方向に進めるように、自分の気持ちに敏感でいよう、と思います。
そのために今、こうして書いているのかもしれません。
まとまりのない文章になってしまいましたが、今の私の気持ちです。