決めつけないほうが、楽しめるんじゃないか、ということ。
自分の定番になりつつあったショートヘア。
ボブにすべく、今、髪を伸ばしています。
20代の頃は、樋口可南子さんがショートを、ヴォーグ誌のアナ・ウィンターがボブを貫くように、「自分のスタイル」を確立している大人に憧れていました。
それは髪型に限ったことではなく、モノやライフスタイルにも当てはまります。服のスタイル。いつも使うペン。朝はヨガで一日を始める、みたいな決まりきったルーティン。
ストイックさと、「私は、これ」と宣言できる清々しさに惹かれていたのだと思います。白黒はっきりつけたがる性格も影響していたように思います。かっこいい大人になるとは、そういうはっきりしたスタイルを築きあげることだ、ぐらいに考えていました。
歳を重ねていくにつれ、自分が好きなものとそうでないもの、似合うものとそうでないものが、少しずつわかってきた気がします。
ばっさりショートにしたときは、「これだ!」ってピンときたんです。周りの反応も良くて、ようやく憧れの自分スタイルとやらが確立したような気がしていました。よーし、これからはショートを貫くぞ!と。
それが、3年経った今。まさかの、飽きてきた…!
今は、ちょっと違う自分に出会ってみたい、という気分です。まあ次も同じ髪型にしたら失敗はないし、子育てしてる身としては何かと時短になるので、変えないのが無難。でもなんかその決め方、寂しいなあと。つまらないかもなあ、と。
なぜこんなことを書くかというと、最近、何事も決めつけすぎないほうが楽しめるんじゃないか?って思うことが多いからです。
学生時代、中学、高校、大学…とある程度先のステップが見えていたのと違って、社会人になると、明確な区切りがありません(そのステップに何の疑問も感じずに来てしまったというのもありますが)。
「私は何に向かっているんだろう?」とたまに不安になっては、わかりやすい「ゴール」を探し求めたこともありました。でも、そんなもの見つけたところで、達成したら終わり、じゃない。その先も人生は続いていく。だったら、ゴールを定め、そこをめがけて走るのではなく、歩いている途中の風景で何が見えるか、を大切にしたほうが豊かなんじゃないか、と。
人は常に変わっていくもの。内面も、外見も。周囲の環境も。
「私は、これ」と言い切る清々しさもいい。でも、変化に合わせて、「あ、いいな」って思う新しいことを躊躇なく取り入れていく姿勢に、最近はより魅力を感じます。
書いていて思いました。もしかしたら、昔の私は、選ぶ基準があることと、いつも同じものを選ぶ、ということの区別ができていなかっただけかもしれないなあ。
ベリーショートからボブへの道のりは、長い。
途中で寄り道を楽しみながら変えていこう、とちょっぴりワクワクしています。