My dots.

都内で働く英語が好きな一児の母。ワーキングマザーとして、自分や家族が心地良く過ごすために何ができるか?を日々模索中。英語を使って世界が広がる楽しさを広めたい。

葉加瀬太郎のコンサートで感じた、本気な大人のカッコよさ。

先日、ヴァイオリニストの葉加瀬太郎高嶋ちさ子・古澤巌の共演コンサート「HATS Music Festival」へ行ってきました。

葉加瀬さんのコンサートにはずっと前から行ってみたいと思っていて、今回初めて抽選に応募してみたら、たまたま当たりまして。で、行ってみたらもう、最高だった!クラシック音楽は敷居が高い、というイメージをもつ人も多いと思いますが、そんな人にこそおすすめできるステージでした。今回はその魅力についてご紹介したいと思います。

 

クラシックらしからぬ演出

ジャズ最盛期のニューヨークをイメージしたという今回のステージ。真っ赤な背景にチカチカ光るHATS Music Festivalの電飾看板。垂れ幕が上がると、ジャズ風アレンジのヴィヴァルディ「春」を演奏しながら3人が踊って登場します。

 

曲のジャンルが幅広い

古澤さんによるロック調のヴィヴァルディ「冬」、葉加瀬さんのオリジナル曲「情熱大陸」、『ティファニーで朝食を』のテーマ曲「ムーンリバー」など。親しみやすい曲あり、クラシックも程よい長さで演奏してくれます。次は何?!と曲紹介のたびにわくわくします。

 

とにかくトークが面白い

あれ、バラエティ番組の収録に来たんだっけ?と錯覚するほどの爆笑トークが炸裂。高嶋ちさ子さんは毒舌全開で、葉加瀬さんのシルバースーツを「シメサバ」呼ばわり(笑)。古澤巌さんの曲紹介、『春なのに、「冬」(を演奏します)』とかも、クスッと笑えました。「俺の雷受けてみろ」と言い放ち、大量のライトを浴びながら演奏する古澤さんの姿。それはもうすごい迫力でした…!

 

本気な大人はカッコいい!

「音楽とは、音を楽しむこと」
小さいころヴァイオリンの先生に教えてもらったこの言葉が、今でも忘れられません。葉加瀬さんはじめ今回の3人は、まさにそれを体現していました。

 

実は、コンサートで私がいちばん感動したのは、そこかもしれません。

 

それぞれが思いっきりヴァイオリンを楽しんでいるのです。生業であると同時に、ヴァイオリンは3人にとっていちばん好きな遊びでもあるのでしょう。そして、大人が何かに夢中になる姿って、めちゃくちゃカッコいい!
この熱量は、生だからこそ感じ取れたのだと思います。芸術家ではないけれど、私もこんな生き方がしたいって、心が震えました。こういう姿を子どもに見せて、大人になるのってなんだか楽しそう!って感じてもらいたい。

そう思いました。
 
子どもがもう少し大きくなったら、ぜったい一緒に見に行きたい。いや、行こう!

「違和感」と向き合う、ということ。

産休育休から復職したとき、仕事に対して強烈な違和感を感じました。

もともと今の仕事は好きではありません。土日休みで残業がなく、結婚してからも続けやすそうな仕事、という理由で選びました。「これでいいのかな」と心の片隅で思いながらも、割り切って、アフターファイブに友だちとごはんに行ったり、買い物をすることで気を紛らわしていました。

それが、子どもという存在ができて、時間に対する意識が180度変わったのです。一日の大部分の時間を費やす仕事。子育てという大切な仕事が加わった今、子どもを預けてまでやる仕事にやりがいが感じられない、というのは想像していたよりはるかに苦痛でした。子どもが病弱だったというのも理由の一つです。一週間休まずに登園できることはまずありませんでした。つらそうな息子を見るたびに、「ここまでして仕事に行く必要があるのか?」と悩みました。

もう今までのように、目先の娯楽で自分の気持ちをごまかすことなんて、到底できなくなっていたのです。

 でも、慣れというのは怖いもので。

保育園生活も2年目に入り、体力がついてきたのか、子どもが病気で休むことは少なくなりました。私自身も、家事に育児に仕事に、というサイクルができあがってくると、いつしか泣き言も出なくなり、目の前のことを淡々とこなせるようになってきました。

それはもちろん悪いことではありません。こういう生活ができるようになったのも、子どもが元気になってくれたからで、仕事も我慢できないほどつらいものではないから。このまま、去年感じたあの「違和感」はなくなったものとして、日々のサイクルを回し続けることもできる。

それでも私は、あの時感じた強烈な違和感を、忘れちゃいけない、と思うのです。

 

親になって最初に息子に対して思ったことは、「好きや仕事を活かした仕事をしてほしい」ってこと。それが私の考えるしあわせだから。そのためには親として何ができるか、と何度も何度も考えました。

私の出した結論は、「親がそれを体現すること」。自分の親もそれができているとはあまり言えません。それもあってか、好きを仕事にするってどこか他人事で、心のどこかで「トクベツな人にしかできない」って諦めかけていたところが正直ありました。でも、それは私が本当にやりたいことだし、子どもにも実現できるって信じてほしい。でも、今の仕事を続けて、果たして本当にそれができるのか?

 

毎日、目の前にあることを淡々とこなす。

そんな中でも、心をマヒさせることなく、少しずつでも向かいたい方向に進めるように、自分の気持ちに敏感でいよう、と思います。

そのために今、こうして書いているのかもしれません。

まとまりのない文章になってしまいましたが、今の私の気持ちです。

 

【時間がない、でも栄養は気になる】朝食にはミューズリーがおすすめ!

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最近、朝食はパンからミューズリーに変えました。きっかけは、吹き出物がよくできる、体重が増えた、などちょっとした身体の不調が続いていたこと。食生活を見直しそう、と一日の初めに口にする朝ごはんを変えることにしたのです。簡単なものがいいな、とふと思いついたのが、スコットランドに留学していた頃によく食べていたミューズリー。日本でも大きめのスーパーでは見かけますが、グラノーラに比べてまだまだ認知度が低い気がします。そこで今日は、1ヶ月ミューズリー朝食を続けて感じたおすすめポイントを紹介したいと思います。

 

ミューズリーとは?

 簡単に言うと、オーツ麦にドライフルーツやナッツを入れたものです。オートミールは、おかゆを作るときのように水や牛乳を入れて煮ますよね?ミューズリーはオーツ麦に火を通さず、牛乳やヨーグルトをかけてそのまま食べます。

オートミールグラノーラとの違いについてはこちらのページがわかりやすいです

macaro-ni.jp

 

素材そのままでとってもヘルシー

グラノーラも同じくオーツ麦にドライフルーツとナッツを混ぜたものですが、こちらは砂糖でコーティングしてオーブンで焼いたものです。ザクザクっとした食感はおいしいけれど、意外と高カロリー…。その点、ミューズリーのオーツ麦は素材そのままなので、低カロリーかつ健康的です。

 

手軽に食べられる

オートミールと違って火を通さないので準備がラク!朝の忙しい時間にパパッと用意できます。ただ、「鳥のエサ」と言われてしまう見た目からもわかるように、そのまま口にするとボソボソしていて食べにくいです。私は、豆乳をかけて5分以上置いてから食べています。こうするとオーツ麦が水分を吸ってくれて、ほど良い柔らかさになります。一時期流行した、牛乳とオーツ麦を混ぜて一晩置く「オーバーナイトオーツ」も試したことがありますが、食感の面からは5分ぐらいでも十分かな、という印象です。

 

カスタマイズしやすい

ミューズリーとしてお店に並んでいるものは、オーツ麦にドライフルーツ・ナッツがはじめから合わせてありますが、私はそれぞれ単体で買っています。その日の気分に合わせてドライフルーツやナッツの組み合わせや配合を変えながら楽しむことができるのが楽しい!スコットランドにいた頃にハマったDorset Cerealsというシリアルブランドの商品から、組み合わせを参考にしてみたりもします。最近は日本でも成城石井などで見かけるようになりました(高いのでなかなか買えず…)。

Dorset Cerealsのミューズリー。パッケージの美しさもまた魅力。

www.dorsetcereals.co.uk

 

最近買っているオート麦はこちら。

www.nihonshokuhin.co.jp

 

1ヶ月続けて感じた効果

まず、午前中のおやつがなくなりました。笑

ランチまでの時間に甘いものをよくつまんでいたのですが、特に欲しくならなくなりました。パンに比べて腹持ちが良いからでしょうか。それから、お通じの悩みがほぼなくなりました…!プルーンやらヨーグルトやら試してもなかなか改善されなかったので、これは嬉しい変化。周りに同じ悩みをもつ人がいたら、間違いなく薦めると思います。

 

時間制限がある朝は、なかなかゆっくり食事の準備ができませんよね。手軽においしく栄養をとりたい、という方は、ぜひ一度ミューズリーを試してみてはいかがでしょうか?

 

英語を学ぶ理由は、至ってシンプルだ。

「英語を学ぶ目的を明確にしましょう」

英語学習者ならきっと必ずどこかで一度は聞いたことがあるはず。

私はなんで英語を勉強しているんだろう?

最近、自分自身でもこの問いについてよく考えるようになりました。仕事で使う分には不自由しないし、友だちと話す時もそこまで困ることはない。それでももっとうまくなりたいって気持ちは常にあります。でも、英語の上達は喫緊の課題ではないから、普段忙しく過ごしているとなかなか英語学習する、というところまではいかなくて…。的確な表現が出てこなくてうまく伝わらないと、悔しい。でも、これからの私にはどんな学びが必要なのか、いまいち分からずにいました。で、英語学習書を読んでは、オススメの教材に挑戦してみたり、ポッドキャストを聞いてみたりするのですが、いまいちピンとこなくて続かない。

 

でも、最近ようやくわかった気がするのです。

私が英語を学ぶのは、

 

「世界中に友だちをつくるため」

 

なのだということに。

拍子抜けするぐらい、ほんとうにシンプル。

それだけ…?って感じですが、はい。ただ、それだけなのです。

 

他国の人と交流する楽しさを覚えたのは高校で渡米したとき。私が参加したAFSという留学プログラムには世界各国に拠点があり、他国からの留学生と交流する機会もたくさんありました。そこで留学生同士で話していたのは本当に他愛のないこと。学校や、ファッションや、食べ物についてなど…普通の高校生の関心ごとについてなのですが、それがすごく楽しかった。たとえばドイツでは学校の授業は午前中で終わり、部活動もないから、放課後の過ごし方がとっても自由なんです。サイクリングに行ったり、オーケストラの練習に行ったり、読書をしたり。だからなのか、「私はこういうことが好き!」ってみんな語れるものがある。学校と部活と塾で一日終わり、というワンパターンな日本の高校生の生活とは違うなぁ、と感動したのを覚えています。

 

帰国後、同じくAFSからスイスに派遣された日本人と再会しました。ドイツ語圏に留学した彼女でしたが、大学では英語を勉強したい、と言います。スイスでも留学生同士の交流会はあったそうなのですが、その時に使う言語はやっぱり英語だったのだそう。共通言語は英語なのだと実感した、と話してくれました。

 

もともとはアメリカが好きだったのをきっかけに英語に興味をもちましたが、その話を聞いて改めて国際語としての英語の強さを実感したのでした。

 

今、私がいちばん英語うまくなりたい!って思うのは、友だちと話す時です。月に一度、アメリカでお世話になったホストファミリーとスカイプをするのですが、その時に自分の今取り組んでいることや、最近の楽しかったこと、今考えていることについて語ります。他愛ないけど、いちばん相手と共有したいこと。共感してもらえたりすると、すごく嬉しい。逆に、言いたいことが的確に伝えられないとムズムズします。

 

これからももっといろんな国の人と知り合って、話したい。時にはユーモアを交えて、笑いあいたい。

 

だから、これからの私に必要な学びは、友だちに話すような身近な話題や自分の考えを、英語で表現できるようになること。だから、基本中の基本だけど、やっぱり自分の興味のあることの情報を、英語で取り入れること。英語学習書がいくら「エコノミスト誌がおすすめ!」と言っても、自分の普段話すことと違ったら、あまり役には立たないのです。。

 

自分に役立つ英語を学ぶ方法は、実は、「学ぶ」という枠を外すことから考えるのがベストかもしれない。枠を外した最近の私は、ツイッターや海外ドラマから、「これ普段の会話に使える!」という表現を拾っています。これが、めちゃくちゃ楽しい!!早く実際に話したい!!って気持ちが加速します。いま英語学習につまづいている人には、難しいこと考えないで、ぜひ、「どんなことを話したいか?」に想像力をはたらかせてみることをオススメします

英語力を知るバロメーター

最近、仕事で立て続けに2回、海外からの来客対応がありました。メールで毎日英語を読む・書くことはしているものの、普段はなかなか話すチャンスがありません。いつもきまって「久しぶりの英会話」にひそかに緊張しながら挑みます。いつも口が慣れてきたな、というところでミーティングはおしまい。終わると、必ず「やっぱり英語ちゃんと勉強する時間つくらなきゃ!」と、いつにも増して強く思うのです。

 

私は、高校はアメリカ、大学はスコットランドと二度の留学を経て、卒業後はずっと英語を使う仕事をしています。そんな私にとって、帰国してからの英語力維持というのはずっと関心を抱いてきたテーマです。

 

英語力のいちばんのバロメーターは、スピーキング。なぜか、について今回は書きたいと思います。

 

瞬発力が求められる

英語でのアウトプットといえばライティングとスピーキング。ただ、発信を求められるスピードが圧倒的に違います。当たり前といえば当たり前ですが、書いているときはわからない、なんだっけと思ったら、辞書なりネットなりで調べられる。一方、スピーキングは目の前に相手がいるので待ったなしで返事が求められます。そして、意外にスルーしがちな、知っているはずの単語がパッと出てこない、という場面は簡単に見過ごしてはならない。紛れもなくそれは「英語力の低下」です。使わないと多少忘れるのは仕方がないよね、ちょっと考えれば思い出せるんだけどー、と軽く考えていた時期が、私にもありました。でも、必要な時にすぐ出てこない、というのは言葉を使ううえでは大きな弊害なのです

印象的なエピソードがあります。ワーキングホリデーから帰国した友人。帰国後しばらくしてから久々に外国人と英語で話したとき、"Hi, how are you?"と聞かれて、思わず"I’m fine, thank you. And you?"と答えてしまったそうです。「中学校で習う定型文みたいな英語しか出てこなかったの!もう、ショックで」。一年以上、毎日英語で話していても、しばらく遠のいてしまうと、とっさの一言が出てこなくなってしまうのですね。

 

というわけで、瞬発力が試される「会話」の場面は、現在の英語力を測るのに絶好の機会なのです。

 

英語を話す時の口の筋力

これは明らかに日本語と違います。使わないと確実に衰え、しかもそれは話す時しか気づきません。英語は日本語に比べてタテヨコに大きく口を動かすので、たまに話すと口の周りがちょっと痛くなります(小顔効果あるんじゃないってぐらい)。

大学時代のエピソードを1つ。私が通っていた上智大学比較文化学部(今の国際教養学部)では、クラスメイトはほとんどは帰国子女。幼少期に数年滞在した、高校で留学した、はたまた大学に入るまで日本で生活したことがない、などいろんな帰国子女と出会ってきました。その中で出会ったあるクラスメイトの発言に、衝撃を受けたことがあります。3年生ごろだったでしょうか、ある日彼が「なんか最近英語の発音が悪くなってきた気がするんだよね」と言うのです。えっ?!彼は、物心つく前に渡米して、15歳までアメリカにいた、それはそれは流暢な英語を話す人でした。もちろん私が聞くとまったく日本語訛りは聞こえてこなかったのですが…。そんな彼でさえも、しばらく話さないと自分の発音に違和感を覚えるようになっていたのです。

 

じゃあ、何ができるか?

実は、今回の記事は自戒を込めて書きました。英語を話すたびに、「たまの英会話、じゃダメだ!」と感じるも、次の機会まで何もできずにいるからです。じゃあ英会話レッスンを受けるか、というのはハードルが高い。それならまずは一言でいいから毎日英語を口に出すのが手っ取り早く、続きやすいのではないでしょうか。まずは私もそれを続けます。詳しくはまたこちらにも報告していきます!

今の自分にちょうどいい!作り置きより、半調理。

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ここ数年本屋さんでよく見かける「作り置き」の本。

週末の2時間で一気に10品作っちゃいましょう!みたいなアレです。いろんな方法がありますが、ここで指しているのはおかずとして完成した作り置きです。これだけあれば平日ラクになる!そう信じて、これまで何度も挑戦してきました。

でも、最近、やめました。

なぜか?の話を、今日はしたいと思います。

 

週末のまとまった時間を料理に使うのがもったいない

短時間でまとめて数十品のおかずを作るには、集中力とまとまった時間が必要です。忙しい平日を切り抜け、待ちに待った週末!というタイミングでやるには気合がいる作業です。やっと週末、というところで「作り置きしなきゃ」のプレッシャー。「〜しなきゃ」は平日で十分。週末は、普段なかなか一緒に遊べない子どもとの時間にあてたい。本読みたい。床でゴロゴロしたい。つまり、遊びたい、休みたいのです…(切実)!それに、親にかまってほしい盛りの小さい子がいると、まとまった時間を取ること自体が結構難しい。お昼寝の時間?毎回決まった時間に寝るわけではないし、長さもまちまち。じゃあ起きている間に作ってしまおうか、と思うと遊んで〜と寄ってくる。それを振り切って料理するのもいかがなものか。 やっとの思いで完成しても、ものすごい疲労感に襲われる。なんか平日より疲れてない、私…?

 

同じおかずが続いてしまう

1週間分など先を見越して作るのは量の見極めが難しく、食べ切れなかったおかずは食卓に連日登場、ということもありました。さすがにずっと同じものを食べるのは飽きる。せっかく頑張って作ったお料理に飽きてしまうのは、とてももったいない話です。出し方をうまくアレンジができれば良いので、ここは料理の腕次第というところもあるかもしれません。私の場合は「余った〇〇(おかず名) アレンジ」で毎回レシピを検索するのが、かえって手間でした(笑)。

 

代替策は「半調理」

それでもやはり保育園のお迎えの後にイチから料理するのは大変です。そこで私が行き着いた解決策は、「週末の半調理」でした。具体的には何をするかと言うと、

・玉ねぎのみじん切りを炒める

・青菜を茹でる

・根菜(主にいも類)を蒸す

・にんじんの千切りを塩もみする

・ポトフを作る

…これだけ!

どれも、何も考えずに、ごはんの支度のついでにできます。作り置きの最大のハードルだった「集中力」「まとまった時間」がいらないのです!味つけは塩コショウをするかしないか程度なので、アレンジ自由自在。特に面倒だと感じやすい「洗う、切る、火を通す」が済んだ状態なので、時短にもなります!子どもの離乳食期は野菜を柔らかめに煮ることが多いので、「火を通す」のプロセスが短縮されると気持ちがとってもラクになる!

 

何のための時短か?

自他共に認める料理好きである私にとって、作り置きができないことにはちょっとした敗北感がありました。

でも、そもそもなぜ作り置きするのか?それは、

・平日の負担を減らすため

・平日少ない子どもとの時間を充実させるため

・忙しくてもなるべく家ごはんを作るため(節約と健康のため)

です。

だから、今の私には下ごしらえする、ぐらいがちょうど良いのです。本やインスタグラムで見かける作り置きの数々、おかずが何品も並べられた食卓。素敵だけど、どれも今の私には必須ではありません。今、いちばん叶えたいのは平日の家事負担を減らすことによって得られる「余裕」なのだから

 

ワーキングマザーが増えているからなのか、あらゆるメディアで時短術を目にすることが増えました。完璧なワーママ像を見せられると、自分もやらなきゃいけないように感じることもあります。試してみるのも悪くない。でも、大事なのはその先。そもそも自分は何のために時短したいのか?を見極め、自分に必要なやり方をうまく取り入れていきたいものです。

「いつか」のための今、じゃない。

「いつか」

素敵な家を買ったら、部屋に花を飾ろう。

子どもが大きくなって、自分の時間がもてるようになったら、オシャレしよう。

もっと好きな仕事ができるようになったら、こだわりの文房具でノートとろう。

だから、今は、「いつか」を実現するために頑張ろう。

 

いつまでも自分や今の環境に満足できなくて、常に「いつか」のために頑張っている気がします。でも、最近これは違うんじゃないか、って感じはじめて。いや、本当はもっと前から気づいていたはずなのに、それでもどうしても現状に満足できなくて、結局「やっぱりもっと頑張らなきゃ」というところに行き着いていたのかも。

 

「いつか」っていつ来るの?

「こんなライフスタイルがいい」ってイメージがあるなら、ほんの少しだけでいい、今できる範囲で、取り入れてみたらいいんじゃないか?たとえば、花を飾ること。今は子どもが小さくて、部屋は散らかりがちだし、置く場所も限られる。でも、テーブルの一部をちょこっと片づけて、一輪の花を飾ることはできるんじゃないか。それだけで、自分の「いいな」に近づける。子どもに汚されちゃうから、色もデザインもあまり選べないし、安い服でいいや。ではなくて、リンクコーデしてみたり、プチプラでトレンドを取り入れてみたり、ネット通販に挑戦してみたり。おしゃれの工夫を凝らすことも、実は結構楽しいじゃない。「好きで得意を活かした仕事がしたい」っていう理想からはほど遠いけど、仕事って楽しいことばかりじゃない。それはどんな仕事をしていても同じ。憧れのノートがあるなら、今から使ってみたらいいじゃない。

 

今は、いつかのためにあるわけじゃない。今を積み重ねた先にあるのが「いつか」。だから、今感じられる小さな「わくわく」「しあわせ」を、しっかり感じたい。噛み締めたい。

 

最近、親戚の集まりで、うちの子より1つ年上の甥っ子に会う機会がありました。たったの1歳差なのに、おしゃべりは上手だし、ごはんも上手に食べるし、子どもの1年の成長って凄まじいです。うちの子が最近指差しするようになったので、「〇〇くん(いとこ)もこのぐらいのとき指差ししてた?」と聞くと、お父さんは「いやーどうだったっけな」という返事。

これまた最近、会社の子持ちの先輩とランチする機会があり、子どもの話になったのですが、その先輩も「1歳半ってどんなことするんだっけ?あれ?もう歩ける?話す?」と。こうしたコメントを立て続けに聞いて、「あぁ、指差しがやっとできるようになってこんなに感動したのに、これもあっという間に過去になっちゃうんだ」と実感したわけです。寝返り、ハイハイ、たっち、一人歩き。前より声が大きくなった、みたいな小さなことでも。その時々で、とっても感動したはずなのに、ね。

 

だから、「理想とはほど遠い」と思っている今だって、実はすごく貴重な、大切な時間なんじゃないか

 

何が言いたいかというと、「いつか」を見据えることも時には必要だけど、そこを目がけてがんばるあまり、「今」を見失っちゃいけない、ということ。「いいな」と思うことがあるなら、今できる範囲でやってみる。今、という大切な時間をより楽しむために。「いつか」は「今」の積み重ねの先にあるものだから。