My dots.

都内で働く英語が好きな一児の母。ワーキングマザーとして、自分や家族が心地良く過ごすために何ができるか?を日々模索中。英語を使って世界が広がる楽しさを広めたい。

「いつか」のための今、じゃない。

「いつか」

素敵な家を買ったら、部屋に花を飾ろう。

子どもが大きくなって、自分の時間がもてるようになったら、オシャレしよう。

もっと好きな仕事ができるようになったら、こだわりの文房具でノートとろう。

だから、今は、「いつか」を実現するために頑張ろう。

 

いつまでも自分や今の環境に満足できなくて、常に「いつか」のために頑張っている気がします。でも、最近これは違うんじゃないか、って感じはじめて。いや、本当はもっと前から気づいていたはずなのに、それでもどうしても現状に満足できなくて、結局「やっぱりもっと頑張らなきゃ」というところに行き着いていたのかも。

 

「いつか」っていつ来るの?

「こんなライフスタイルがいい」ってイメージがあるなら、ほんの少しだけでいい、今できる範囲で、取り入れてみたらいいんじゃないか?たとえば、花を飾ること。今は子どもが小さくて、部屋は散らかりがちだし、置く場所も限られる。でも、テーブルの一部をちょこっと片づけて、一輪の花を飾ることはできるんじゃないか。それだけで、自分の「いいな」に近づける。子どもに汚されちゃうから、色もデザインもあまり選べないし、安い服でいいや。ではなくて、リンクコーデしてみたり、プチプラでトレンドを取り入れてみたり、ネット通販に挑戦してみたり。おしゃれの工夫を凝らすことも、実は結構楽しいじゃない。「好きで得意を活かした仕事がしたい」っていう理想からはほど遠いけど、仕事って楽しいことばかりじゃない。それはどんな仕事をしていても同じ。憧れのノートがあるなら、今から使ってみたらいいじゃない。

 

今は、いつかのためにあるわけじゃない。今を積み重ねた先にあるのが「いつか」。だから、今感じられる小さな「わくわく」「しあわせ」を、しっかり感じたい。噛み締めたい。

 

最近、親戚の集まりで、うちの子より1つ年上の甥っ子に会う機会がありました。たったの1歳差なのに、おしゃべりは上手だし、ごはんも上手に食べるし、子どもの1年の成長って凄まじいです。うちの子が最近指差しするようになったので、「〇〇くん(いとこ)もこのぐらいのとき指差ししてた?」と聞くと、お父さんは「いやーどうだったっけな」という返事。

これまた最近、会社の子持ちの先輩とランチする機会があり、子どもの話になったのですが、その先輩も「1歳半ってどんなことするんだっけ?あれ?もう歩ける?話す?」と。こうしたコメントを立て続けに聞いて、「あぁ、指差しがやっとできるようになってこんなに感動したのに、これもあっという間に過去になっちゃうんだ」と実感したわけです。寝返り、ハイハイ、たっち、一人歩き。前より声が大きくなった、みたいな小さなことでも。その時々で、とっても感動したはずなのに、ね。

 

だから、「理想とはほど遠い」と思っている今だって、実はすごく貴重な、大切な時間なんじゃないか

 

何が言いたいかというと、「いつか」を見据えることも時には必要だけど、そこを目がけてがんばるあまり、「今」を見失っちゃいけない、ということ。「いいな」と思うことがあるなら、今できる範囲でやってみる。今、という大切な時間をより楽しむために。「いつか」は「今」の積み重ねの先にあるものだから。